2011年4月18日月曜日

4月10日の話、その1



こんにちは
pomです。

本当はすぐに記したかったのですが遅くなっちまいました。

決して誉められる行動ではないと思います。
野次馬的な発想で、福島県の新地町と相馬港に行ってまいりました。

これからあなたがご覧になる画像は、
テレビのそれと同じかもしれません。
テレビのほうが悲惨かもしれません。

でもテレビの向こうで起きていることは、
現実なのです。

例えば、
阪神淡路大震災。
多くの犠牲を産みました。
僕は当時子どもだったと言い訳をせずとも、
僕にとってのそれはテレビの向こうの事実であり、
正直、他人事でした。

でもそれは現実だったのです。

僕は十数年たった2011年の4月10日にそのことに気が付きました。
目の前の現実が、テレビの中のものではなく、紛れも無く「現実」だったから。


3月11日から1ヶ月が経とうとしている4月10日のことです。
晴れていました。


港を直前にトイレに行こうとコンビニに立ち寄りました。
電気は通っていましたが水道は断水が続いており、トイレを借りることは出来ませんでした。

だのでトイレは諦め車に乗り、港に向かおうとしたときです。

何やら見慣れない車がコンニビの駐車場に停まりました。
近くで見ると和歌山県警の車でした。


話を聞くとこれから捜索活動に向かうとのこと。




当初は港へ向かう予定でしたが先に新地町へ向かいました。

着いた場所は初めて来た場所です。
ですので、
もとがどのような風景だったのか分かりません。

ただ、分かることはこの町が壊滅的被害にあったということです。








此処が住宅地だったのか、田園だったのか、僕には判断が付きませんでした。

おばあちゃんが2人こちらへ歩いてきました。

彼女たちが向かう先には何もありません。
僕はおばあちゃんへ声をかけました。

どこへいくの?

「家を見に来た」

家?
僕は聞き間違えたと思いました。

おばあちゃんは言いました。
「やっぱりねーな」

あったはずの家がそこには無い。
それを確認に来たのです。
1ヶ月経った今、
その確認をおばあちゃんは何度したのだろう。

おばあちゃんたちは地震のあとすぐに高台に逃げました。

「火事になってはお隣さんに迷惑をかけるからガスを止めてくる」
「一応、通帳とかを持ってから高台へ向かう」

そう言って家に戻った人と会ったのはそれが最後だそうです。

高台から見る光景は見れたものではなく、
目を塞いだそうです。
震えが止まらなかったそうです。
気が付くと足元まで水が届いていた。

高台にいたのに目の前が水だった。

そうおばあちゃんは語っていました。

おばあちゃんと別れ僕は歩みを続けました。




ランドセルとアルバム、黄色い帽子



少し遠くに見つけました。


線路です。

僕は新地駅に向かうことにした。

向かった先の新地駅は、
新地駅ではなく新地駅の「跡地」でした。

続く
その2
http://piisulite.blogspot.jp/2011/04/49410.html

今日はこのへんで。

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